2016年7月6日

ソ連にデジャヴを感じる日本の姿 その1

私が今暮らしているロシアの首都モスクワは、ここで暮らし始める前のイメージと全く異なって、治安も大変良く、日本以上に資本主義的でお金さえあれば世界でも水準の高い消費サービスが受けれる場所となっています。例えば、モスクワの多くの喫茶店では、礼儀正しいウェイターやウェイトレスが運んでくる美味しいコーヒーやデザートをパリにあるような雰囲気の良い店内で楽しむことができます。もちろん、店内では電源やwifiは使い放題です。電気泥棒などといわれることはありません。そして、24時間営業のレストランや最新のハウスミュージックで楽しめるクラブも多く「眠らない街」といわれるのがここモスクワなのです。

 

「共産主義とは電化である」

 

しかし、この地には、かってソ連と言われ、資本主義とは対極に位置する共産主義社会を世界に輸出しようとしていていた国がありました。

また、ソ連の父として語られるレーニンによると「共産主義とは電化である」となります。極解すれば、電力を供給しさえすれば、機械やロボットが人間に変わって仕事をしてくれて働かなくてもよくなる→そもそも働くことがなくなるので失業という概念すらなくなる→貧富の格差もないみんな平等の良い社会になっていく、とレーニンは考えたのです。

そうした電化に向けたインフラを提供していくことにソ連という国家は邁進していきます。電線をどんどん延長して、公共投資で景気変動を無くして、失業や貧富の格差という社会悪を消滅させようという試みを大規模な社会主義計画経済の導入で実現しようとしていきました。

そうしたソ連は豊富な生産物を提供できたことで、1960年代までは、貧富の格差も失業もない平等な世の中が実現されているとして西側社会では多くのインテリの礼賛を受けてきたわけですが、しかし、1970年代までにはその人間性と社会に対する洞察力への浅薄さが露呈していきます。餓死しないという安心感の次にはより良いものを得たいという人間の持つ欲望に対応できないこの共産主義モデルについての行き詰まりが目立つようになっていきます。ついには、1991年にみじめな大失敗によってユートピア幻想とともにソ連が崩壊してしまいました。

できるだけ多くの選択肢の中から、最良のものを選ぶことができて、且つ、行列しないで、できる限り多くの数量の消費財・サービスを受け取ることができる社会は、共産主義ではなく資本主義が適していました。ソ連崩壊後のロシアは急速にドラスティックにこの資本主義を導入していきました。その結果が冒頭に紹介した現在のモスクワの日常の世界です。

 

昔の成功体験にひきづられて停滞していく日本の社会

 

私がデジャ・ヴー(既視感)を覚えるのは、ソ連が過去経験したことに日本の現状が重なって見えてくるからです。どういうことかというと、ソ連の理想とするモデルは、餓死しないで済むような生産量をコンスタントに産むことができるという要請には対応できたものの、ある程度の電化で夜も時間ができて、消費財について選択肢と質を求める人々のその次のニーズに応えることができなくなり行き詰まってしまいました。

現在の日本も、ある程度の選択肢と質を求める人々の要請には応えることができたものの、その次の要請である、環境破壊に配慮するために大量でなく少量の生産物で、モノの消費に成熟した結果の、極めて多様な消費財を求める消費者に対応していく必要に迫られた社会には対応できかねています。機械化で大量生産することで質を維持しながら価格を下げていくというやり方が少量生産という要請で取れなくなっているからです。

少子高齢化で人口構成比では多くなるばかりの高齢者の層は消費を行うというよりは年金の範囲内でまたは貯金を崩しながら細々と生きていくということになっていくでしょうし、一方の若者の間でも、日常生活が成熟した結果の、消費社会から一定の距離をおいたミニマナイズという生き方も広がりつつあり、モノをあまり消費せずに簡単でシンプルな生き方が若者の間で定着しつつあります。

その社会の変容の過程では、ある少数のモデルを大量生産して大量販売するというビジネスのあり方がワークしづらくなってきているために、将来予想が難しく在庫をできるだけ抱えないという動きも企業の間で定着し、企業の設備投資や機械受注統計も長く低迷がつづき、失われた20年と言われるほどの長期低成長社会からの脱皮にもがいているのが日本の現状といえましょう。このままでは、次のモデルが見つかるまでにソ連のように現状モデルが大きく瓦解する状況があってもおかしくありません。マイナス金利という異常事態はそうした端緒なのかもしれないと感じています。

ロシアもそのうち欧州や日本が経験しているニューノーマルという低成長低インフレ化していく過程を歩むことになっていく可能性も高いのですが、言い換えると日本が抱えている悩みは次の世界の悩みと共通のものとなっていくはずです。

Tadashi Tsukaguchi Official MAIL MAGAZINE